坪 井 美 子 様 の 略 歴

 

突然の出来事・・・

平成10年4月20日5時過ぎ、「頭が痛いからママチョット来て」との電話に、鳳仙寺に居る長男の嫁(みはと)が呼び出されました。

直ぐに着くと、ベットでアイスノンや氷をあて休んでいました。

「頭が割れるように痛い」との事で、直ぐに五十嵐先生、良廣、良行へ連絡、良廣、五十嵐先生、良行と直ぐに駆けつけました。

嘔吐を繰り返し、頭痛を訴える母、先生の診察の結果救急車を要請、直ぐに駆けつけた石原さんの奥さん、林八重子さん、と共に入院の用意をして救急車を待ちました。

残念ながら、救急車が着く少し前に意識が不明になりました。

直前に言った「良廣、私、死んじゃうかもしれない」が意識のある最後の言葉になりました。

厚生病院への緊急入院、すぐに高崎の友子おばさん(母の妹)とその息子の康彦さん(群大病院医師)

東京から飛んで来た次男の良真(慈恵病院医師)と当直の先生の3人による診断によると、無情の予測でした。

今晩中に呼吸停止が来る・・・・人工呼吸器を付ける事になる・・・・手術は無理・・「マッちゃんどうにかならないか、お前医者だろ」の兄弟の言葉に本人は手をふるわすだけでした。

母の姉妹、兄弟、親戚に連絡をして、遠くは平塚から迦葉山(母の実弟)から真夜中にも係わらず数時間後には駆けつけてくれました。

予測通り、夜中の3時に呼吸停止、心臓マッサージ、人工呼吸器装着現代医療の力と機械に繋がれた母は、平成10年4月22日午後2時41分まで脳死の状態で2日間生き延びました。

 

母の略歴

突然の事で、母の略歴は聴き取りで調べました。何にも言い残していかなかったので、何処にどんな記録が有るのか判りません。

大正15年9月3日生まれ  快中山宗玄寺に生まれました。

姉妹の方々に教えていただいた、少女の頃のよこちゃん(愛称)は小学校1年〜6年まで、学年を1番の成績で通し森本賞を受ける程の目立った利発な子供であったとの事です。

渋川女子高校卒業

昭和23年坪井良栄と結婚、良廣 良真 良行 の3人の子供をもうける。

光明寺 鳳仙寺の住職婦人として、檀信徒に慕われながら積極的に活躍を続け持前のやさしい感性とテトパキとした気質で、沢山の友人に恵まれる

曹洞宗桐生教区寺族会会長

曹洞宗群馬県寺族会会長

梅花流御詠歌1級詠範  御詠歌を多くの檀信徒へ教える。

趣味は、書道、琴、読書、あみもの 等

 

おわりに

今回の葬儀で、一番びっくりしているのは、母本人だと思います。

鳳仙寺の良廣の晋山結制式典(29日)の準備を毎日楽しみに監督に来ていた母「お父さんは、私が面倒みなくちゃ大変なんだから」といつも言っていた母、当日まで庭の草むしりをし、友達と電話をしていた母まさかその日の夕方に倒れるとは、何時もの元気な顔からは想像出来ませんでした。

最後に、本日は、遠路わざわざご会葬いただき、心あたたまるご弔意ご厚志を賜りありがとうございます。

平成10年4月22午後2時41分急逝  クモ膜下出血での突然の死

   戒名 慈性院美影露真禅尼  行年71才

                     平成10年4月24日    良廣記

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